phony

雑記

【掌篇】バグ

帰り道。

6月の終わり、17時。暗い曇り空。

雨がしとしとと降っている。

 

「ねえ、ゲームってしたことある?」

 

透き通った、高めの女の声。

 

「ある」

 

赤色の傘の下に、黒い横髪が揺れている。

彼女はいつも、唐突な話題を振ってくる。

 

「最近バグが増えてるみたいなの」

 

「何の話だ」

 

「バグの話よ」

 

ぴちゃり、と水たまりの水が跳ねる。

彼女の赤い長靴が濡れる。

俺の靴下と革靴にもかかる。

 

「おい」

 

靴下がじわじわと濡れてゆく。

あの、気持ちの悪い感触が足の裏から伝わってくる。

 

「靴下、濡れると気持ち悪いんだぞ」

 

ふいに彼女が歩みを止める。

釣られて俺の足も止まる。

傘から雨が零れる。

 

「見て、バグ」

 

彼女は傘の外へ腕を突き出した。

指先は目の前の水たまりを指している。

 

「なんだ、アメンボでもいるのか?」

 

「ちがう。よく見て」

 

言われた通り、よく見てみる。

濡れたアスファルト

波のない水面には曇り空が映っている。

 

「ただの水たまりだな」

 

「ばーか」

 

彼女は足元にあった小石をひろうと、水たまりに向かって投げた。

小石は水面に触れたかと思うと、吸い込まれるように"消失"した。

水面は曇り空を映したままだ。

 

「……消えた」

 

足元に落ちていた小石をひろい、俺も投げ入れてみる。

鏡面が水紋で歪むこともなく、同じように小石は消えた。

 

「どうなってんだこりゃ」

 

「バグだよ、バグ」

 

差している傘に雨粒があたり、パラパラと音を立てている。

思えば、雨が降っているのにかかわらず、水面には波一つなく、曇り空を映したままだ。

そもそも「水」面なのかすら定かではない。

 

傘を閉じ、水たまり(?)につっこんでみる。

見た目は1cm程度の深さしかないのに、底がないようで取っ手まで入る。

手まで入れるのは怖いので、傘をギリギリまで入れて引き抜く

傘は抵抗もなくすんなりと抜け、濡れた様子はなかった。

水たまりならできる水紋もなかった。

 

「こんなのがそこら中にあったら危ないな」

 

彼女は何事もなかったかのように平然としている。

 

「バグはいろんな形で現れるのよ。これはほんの一例」

 

どうやら、他にも変な現象はあるらしい。

 

「他にはどんなバグがあるんだ?」

 

「学校が半分ずれてたり、今日は理科室のあたりが空隙になってたよ

 この付近に限った話じゃないだろうね」

 

「理科室が?」

 

全く気がつかなかったが、学校でも変な現象が起こっているらしい。

誰も騒いでいなかったのが不思議だ。

 

「……日本中で、その、バグは起きてるのか?」

 

「さあね、世界中で起きてるんじゃない?」

 

バグ。

空間が壊れていたり、NPCが狂ったような動きをしているのは雑なゲームでよく見てきた。

それが現実で、しかも世界中で起きているのだという。

 

とても信じられない話だ。

そもそも、怪奇現象がそんなに起きていたら、世界中で大騒ぎになっているはずだ。

 

「お前、からかってるだろ」

 

「この水たまり見ても、からかってるように思う?」

 

「……いや、認めるよ。だが」

 

ふっ、とあたりが静まり返る。

雨が止んだのかと思い、傘を閉じ、あたりを見回す。

水滴が、宙で浮いている。

時間が止まったかのように、全ての雨が動きを止めていた。

 

「お、おい、これも……バグなのか……?」

 

「んー、処理が重いのかも」

 

彼女は、さも見慣れた様子で、落ち着いてあたりを確認している。

俺は雨音だけでなく、彼女の声以外の音が、一切しないことに気がついた。

車の音も、風の音も、地面と靴が擦れる音もしない。

あたりは完全な静寂に包まれていた。

 

「もうダメみたいだね、この世界も」

 

「だめって、どういう……」

 

「情報が増えすぎたんじゃないかなー、この世界のどこかで」

 

少し雨が動いたかと思うと、小刻みに停止し、また動く。

ちょうど、スペックの低いパソコンでオンラインゲームをしている時のようだ。

カクついているという表現がぴったり合う。

 

「こんなおかしなことが起きているのに、なんでニュースにならないんだ

 世界中で起きているなら大騒ぎになっているはずだろ」

 

NPCはバグに気がつけないものよ」

 

NPCはバグに気がつけない。

ゲームの中なら当然である。

どんなにおかしなバグがあっても、ゲームの中の人間は平然としている。

 

「そ、それじゃあ、どうして俺たちは……」

 

「ふふふ、私の時もそうだったよ。

 

 みんなおかしな動きをしているのに、私だけ普通に動けるの」

 

私の時。

彼女はそう言った。

 

「……お前は」

 

「この世界はもうダメ。

 この世界にこれ以上とどまっていても仕方ないよ」

 

 

「お前は、どこから来たんだ?」

 

彼女はにっこりと微笑んだ。

 

 

「君は、私と一緒にくる?」